いったん

また寒気が戻ってきたらしい。外は曇り空で雨音がポツポツと聞こえてきた。今日はどんな装いで外に出ようか、少し迷う。

 

12月からのブログ書き腐りルーティンも板に付いてきて、距離を置くということも覚えた。書きたいことがない、書く余裕がなさそう、今書いても良さげなものがかけなさそう。そんな時は一旦距離を置く、中高生の恋愛みたいなことをしている。

 

今回は、たまたま夜中の12時過ぎに投稿してそれから36時間経過して書き腐っていることで、1日しか期間が開いていない錯視を起こしている。別に誰かに約束したわけでもなく日々書き連ねて、今回で今年66個目のブログ。日本人のホームラン王がMLBで誕生したよ、しかもそいつピッチャーやってるよと告げるよりも、ほぼ毎日ブログを書いてるよと告げるほうが、過去の自分は絶対に信じないであろうと思うのは、現実のバイアスが強すぎるかな。

ブログ管理画面内にあるこよみモード。過去の自分はこの時期に涙しすぎ。

 

 

僕に限らず、人は一旦何かを置いておく、離れる、手放すことが好きだと思う。焦りや感情の昂ぶりから逃れるため、一旦その物事から離れる。自分としては「そうじゃない」ことが起きた時に、人はそうするのかもしれない。考えてみると人がそうするのは、いつも感情起因のものだ。自分の予期していない感情に対して、一旦落ち着いてみることで冷静に物事を見つめ直す。多くの人がこの機能を持ち合わせていて、そこへの追い打ちがハラスメントになったり、人の感情を逆なでして諍いに繋がるのだと思う。

 

こういう機能を持ち合わせていない人が多いのがイケイケなベンチャー企業の活躍人材なのかなと、まがりなりにも所属していた身で思う。コトに一途で、弱みは見せない。感情は仕事場とは別のどこかに置いてきて、とにかくやると言ったらやる虹村形兆みたいな人。いや、几帳面ではないことが多いから、凄みのあるジョルノのほうかも。今は、「決してそうはなりたくないので、自分のままやれればいいのだがなー」と悪戦苦闘している真っ只中なのだ。

 

とはいえ、今だからこそと思って読んでいる本も上手く読み進められず、せっかく根付きつつあった読書週間が少しずつ薄れていることが、今一番の焦燥事項・懸念事項。これも一旦枕元から離して、底抜けに明るい気持ちになれる小説でも読めればまた違うのだろう。わかっていてもそうできないのは、一度手を離れた本に、人に、戻ってこられない経験を多くしているからなのか、そんな小説に出会えないで影響されまくる未来におびえているからなのか。多分どっちもなので、僕は早くこの本を読みたいと思っているところです。

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