もういくつ寝ると

昼間はまだ半袖でいけそうなくらい日差しが強いのに、夕方を過ぎると急に風が冷たくなる。朝に選んだ服が、夜にはもう正解じゃなくなっている。この時期は毎日、少しずつ服を間違えている気がする。

 

「もう10月だね」と言われると、なんとなくうなずいてしまう。持論だが、僕の中では肌寒くなったくらいではまだ「もう」にならない。寒さが一日で終わらずに何日も居座るようになって、ようやく「ああ、もう年末が近いのか」と思う。

 

もうとまだの境目は、気温そのものより、寒さが続くかどうかにあるのかもしれない。

 

 

雪国で育った僕にとって、寒さは記憶の糊みたいなものだ。

 

雪の上でやったタグラグビーとサッカー。トレーニングという名目の、ただの暇つぶしだった。隣の学校の初めて会った女の子となぜか寒い公園で過ごした時間。大雪の遅延を見越して早めに家を出たセンター試験の朝。年末のすすきの、横から吹きつける雪。

 

取るに足らないことも、人生の分かれ目だったことも、同じように冷たい空気と一緒に記録されている。音楽が記憶を呼び起こす話は前にも書いたけれど、寒さはもっと身体の奥に残っている感じがする。思い出すというより、肌が覚えている。

 

年が明けてしばらくすると、今度は言葉が入れ替わる。「まだ冬なのか」。もうの季節が終わって、まだの冬が来る。

 

本州の冬だって寒いし、寒さの底ではみんな「春はまだか」と思っているはずだ。ただ、北海道にはその先がある。「やっと」だ。

 

やっと雪が解ける。やっと自転車に乗れる。やっと桜が咲く。南のほうから届く開花の便りをずっと横目で見ながら、長く耐えたぶんだけ重さを持つ「やっと」。雪で湿って重くなった靴が、ようやく乾いたときみたいな言葉だと思う。乾いた靴でアスファルトを踏む、あの軽やかさを「やっと」覚えることができる。

 

もういくつ寝るとお正月、と子どもの頃に歌った。あの歌の「もう」は、待ち遠しさの「もう」だった。

 

故郷を離れた今、寒くなり始めたばかりの10月に、僕はもう春のことを考えている。雪国の人間のくせに冬が苦手なのは、我ながら少し笑ってしまう。でもたぶん、僕が数えているのは正月までの日数じゃなく、あの「やっと」までの日数なんだと思う。

 

もういくつ寝ると、やっと。

迷子のまま

最近、demipoguneというアイドルグループにずっと心を持っていかれている。

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知ったきっかけは、正直に言えばミーハーそのもので、SNSで「オーマイゴ!」という曲が話題になっていたから。流れてきた投稿を何となく再生して、そのまま何となくもう一回再生して、気づいたら他の曲まで漁っていた。よくある沼への落ち方をしている。

 

「オーマイゴ!」がSNSで話題になっていたのは、主にベースラインの話だった。ベースがとにかくえぐい。なのに曲自体はびっくりするほどキャッチーで、そのミスマッチが気持ちいい、という話だ。

 

聴いてみて、ああ、これは確かにそうだと思った。音楽理論はまったくわからないので、何がどうえぐいのかを言葉で説明することはできない。ただ、耳が勝手に音程の低いほうを追いかけてしまう感じと、口が勝手にサビを口ずさんでしまう感じが同時に来る。その二つが喧嘩せずに同居しているのが、とにかく心地よすぎる。理屈がわからなくても気持ちいいものは気持ちいい、というのは音楽のいちばん正しい楽しみ方なのかもしれない。

 

話題になっている側面はたしかにすごいのだけれど、僕が何度も聴き返してしまう理由は、歌詞のほうにもある。

 

「なんてことだ!」が日々起こる毎日。この曲はそういう毎日を歌っていて、それがひたすら自分に刺さっている。大事件というほどではないけれど、小さな「なんてことだ!」が毎日積み重なって、気づけば自分が迷子になっている。最近の自分にとって身に覚えがありすぎた。たぶんずっと幸せとかを探し続けないといけないのだ、人生って。

 

そして、この曲はそこを無理やり明るく塗りつぶしたりしていない。アイドルソングといえば快楽的なハッピーを届けるもの、というイメージがあるけれど、「オーマイゴ!」はただのハッピーを求めているわけではない。困っている自分をちゃんと困っているまま歌っている。その実直さと、どこか懐かしい空気を、聴くたびにひしひしと感じる。

 

 


話題の一曲から入った身として声を大にして言いたいのは、他の曲もすごくいいということだ。

 

歌詞も雰囲気も含めていちばん好きなのは「素敵な日々には」。Aメロ・Bメロからサビへの流れの空気感がいいし、何より歌詞がいい。付け焼き刃のポジティブではなく、ここまでの日々や背景をちゃんと認めたうえで言葉が置かれている感じがする。「素敵な日々」を、何もない真っ白な場所からではなく、積み重ねてきたものの上に描こうとしている。

トゲめく言葉も 優しい君のせいにして
手のひらに傷がふえる
そんなのわかってるから

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ストレートに音を楽しむなら「オラクル」。バンドサウンドとアイドルの融合自体は、今となっては別に珍しいことではないのかもしれない。でも、この規模感でバンドを従えて、地下的な活動を続けるというのは、今の地下アイドルの構造を考えると相当難しいはずだと思う。コストも手間もかかる。それでもそこを追求しているという事実に、邦ロックを愛したまま死ねないでいる老害としては、ただただ感謝の気持ちが湧いてくる。ありがとう、と勝手に思いながら聴いている。

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曲以外のところにも、気になる要素はたくさんある。

 

MVや配信している動画には手作り感があって、メンバーの日常や、普段の気取っていない姿が存分に出ている。これは戦略なのだろうか。ゲーム的な演出が入るのは、アキバの電波ソングへの懐古なのだろうか。MVの白くてドリーミーな雰囲気は、平成回帰の流れの中にあるのだろうか。

 

細かい要素について、ちゃんと考察できるほどの見識は僕にはない。的外れなことを言っている可能性も大いにある。ただ、なんにせよ、そのどれもが同じ方向を向いているように見える。

 

 


今のアイドル文化は、キャッチーでポッピーな雰囲気の中で「kawaii」「脳汁」「ぶち上げ」を基本線にしているように思う。それ自体を否定するつもりはまったくないし、それはそれで楽しいのだろう。

 

でも、demipoguneはそこから一線を画した方向を向いている。ベースのえぐさも、至っていない自分を認める歌詞も、背景を引き受けた「素敵な日々」も、バンドを従える姿勢も、手作り感の残る動画も、白い光のMVも、メインストリームの雰囲気と相反して、全部が「実直さ」と「ノスタルジー」という二つの言葉に集まっていく。

 

ぶち上げてくれるのではなく、そっと隣にいてくれる。忘れていた何かを思い出させてくれる。「なんてことだ!」ってことが起こる毎日の中で、たぶん僕はそういうものを求めているのだと思う。

 

そんなわけですんごいマイブームの話でした。しばらくはこの迷子のまま、demipoguneを聴いてみていようと思う。

 

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和田輪さんが元気そうで嬉しい。

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