公認する

日々数字に追われて定量とか定性とかを問われて、何が正しいとか何が間違ってるとかそんなことが議論されてたりする数字だが、結果塩梅じゃねえのって思ってたりします。

 

ともあれ、僕は誰も測っていないものを測るのが好きだ。

 

ばりきやで替え玉を2玉頼んで、何分で食べ終われるかを競っていた時期がある。競うといっても相手はいない。自分の中の前回の自分だけである。入店して、バリカタコールをし、卓上のもやしを食らう。着丼したら喰らいつくのではなく味わう。二口くらい残して替え玉。

 

最速7分。あの頃の僕は明らかに何かに追われていたが、追ってくるものの正体はついに分からなかった。

 

公式の記録というものは、条件が細かく決まっているから記録として成立する。追い風何メートルまで、とか。であれば、僕の記録にも条件を書いておけば、それは記録として認められるのではないか。認めるのは僕なので、話は早い。

というわけで、これまでの自己最高記録および最速記録を、ここに公認する。

【食】

ばりきや・替え玉2玉完食 7分00秒
※着席から丼を置くまで。紅生姜使用可、水は途中給水を含む。

 

左手ラーメン縛り連食 5杯
※車を走らせ、左手に見えたラーメン屋にはすべて入る。Uターン禁止。死にそうだったし、何人か手稲の野原(駐車場)に吐いてた。

 

コンビニおにぎりフィルム連続成功 7回
※七海建人の黒閃と同記録。

 

【移動】

自宅→最寄り駅 17分
※平常時20分強。原因不明のため再現性なし。

 

起床→玄関 3分
※歯磨きは出社後に実施。当該条件下での記録として公認。

 

【生活】

スマホ充電の最低残量 0%
※理論上の下限に到達済み。ただし大半は失敗(=到達)によるもので、成功率は別記録とする。

 

電子レンジ故障のまま生活した期間 47日(継続中)
※2026年7月16日から本日まで。記録更新の意思なし。にもかかわらず更新中。

 

【執筆】

タイトル決定までの最短時間 マイナス3日
※タイトル先行、本文が決まらない夜が二夜連続。マグロだ。

 

書き出しの書き直し 数えきれない
※計測不能につき記録なし。プライスレス(Mastercard)

 

【不名誉記録】

更新途絶 364日
※2022年1月30日「明けましておめでとうございます」→2023年1月29日「2つの胸のつっかえ

 

同・次点 274日
※2020年10月11日「少し刺激が強すぎて」→2021年7月12日「」。タイトルまで力尽きている

 

 

こうして並べてみて気づいたことがある。

 

記録には二種類ある。狙って出した記録と、放っておいたら勝手に伸びた記録だ。上の一覧でいえば、7分も3分も17分も前者で、狙って、力んで、それでようやく出た数字である。

 

一方で、数字がデカいのは全部後者だった。書き出しの書き直し回数も、更新が途絶えた364日も、電子レンジの47日も、僕は一度も更新しようと思っていない。むしろ止めたい。止めたいのに伸びる。狙った記録は一生更新されないのに、狙っていない記録だけが毎日きっちり1日ずつ積まれていく。

 

2022年の1月30日に「明けましておめでとうございます」と書いて、次に書いたのが2023年の1月29日だった。364日。あと1日で丸1年である。年賀状としてなら実質皆勤と言えなくもないが、そうやって言い換えている時点で負けている。

 

そして今日も、電子レンジは壊れたままだ。47日。明日には48日になる。これを止めるには、修理に出すしかない。もう一つの記録を止めるには、書くしかない。どちらも分かってはいるのである。

mori-memento.hatenablog.com

めめんと森

仕事の進め方がドラスティックに変わってだいぶ仲良くなってきたので、流行りに乗じてブログのネタをAIに聞いてみた。


明るい話題が書きたい気分だったので、明るいテーマをいくつかくれと雑に投げたら、コインランドリーだの、自販機の「あたたか〜い」だの、こちらの琴線を心得た候補がぞろぞろ出てきた。そのうちの一つを拾って書いたのが先日のコインランドリーの記事で、味を占めてもう一本書いたのが歩けの記事である。

 

AI編集くんとのやり取り自体も悪くなかった。僕が先に書いて、AIが書いたバージョンと見比べて、直したいところだけ直す。AI編集くんに「あなたの方が面白い」と誉めそやされながら、40分と50分の表記揺れとか、誤字とか、構成のねじれとかを几帳面に拾ってくる。褒めてから刺してくるタイプの編集者である。

 

そんな中で、調子に乗った僕は聞いてしまった。「めめんと森の総評をしてみてください」と。

 

最初の総評はそれっぽかった。文体がどうとか、自虐の距離感がどうとか。ふうんと思って「もっと読み込んで」と催促したら、AI読者くんは本当に読みに行った。2018年の初投稿から、更新が年1本まで落ちた年の記事から、無職の頃の記事まで。そして言われたのである。

 

「2024年に書いた「」という記事と、先日書いた「言葉にできなかったありがとう」の記事は、完全に同じ構造ですよ」、「もう届かない相手への遅れた感謝という主題を、あなたは2年前に一度書いていて、今回再演しています」と。


書いた本人が忘れていた。指摘されて読み返して、本当に同じことを書いていて、ちょっと笑ってしまった。しかも向こうは追い打ちで、2018年の記事の書き出し「どうも、グリーン車なるみです」を発掘してくる。グリーン車で移動しながらポメラを叩いていた男が、8年後に「グリーン車は三大ひらめきの場所」と書いている。一貫していると言えば聞こえはいいが、要は8年間同じことを考えているのである。

 

外れた指摘もあった。

更新が途絶えていた時期を、AIは「人生の谷と連動している」と物語っぽく読んでいた。半分正解で、半分不正解である。実際は「書く」が仕事だった時期で、単純に書くリソースが足らなかっただけだ。言葉は無限に湧く趣味ではなく、仕事と同じ井戸から汲む水で、汲み尽くした日はブログに回す分が残っていない。それだけの話を、外から見ると物語に見えるらしい。AIは物語を読みすぎる。まあ、人間もたぶんそうなのだけれど。

 

ところで、このブログはめめんと森(memento-mori)である。森林の「森」と、mementoと、メメント・モリ。「死を忘れるな」なんて大仰な意味を、掛詞に紛れ込ませて名付けた。


この名前は思ったより正しかったのだと思う。僕は歩きながら思いついたフレーズをすぐ忘れるし、自分が2年前に書いた主題も忘れるし、担当した本のことすら忘れかける。忘れる生き物だから、忘れたくなくて書いている。書いたそばから忘れて、また同じことを書く。それを8年分溜め込んだ森を、AIが散歩して、落ちていた僕の忘れ物を拾って届けてくれた。そういう出来事だった。


メメント・モリ。終わりがあることを忘れるな。大丈夫、終わりどころか一昨年書いたことすら忘れているのだから、その点に関しては誰よりも実践できている。

 

付録として下記にAIの出力を記載しておきます。

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