「限界を決めるな」という言葉

「限界を決めるな」という言説が結構嫌いだ。限界を決めてない人とか会社に振り回された結果、結構割りを食ってる感覚があって、それゆえに結構嫌いだ。

 

先ず努力とか熱意の側面で言う場合、その人の超えていた閾値を押し付けて「限界を超えろ」と言っているケースがほとんど。努力できるリソースも熱意を注ぎ込める量も人それぞれなわけであって、それを無視してお椀を被せたノミのジャンプ力の話をして、そういった指示を出すこと自体が間違っていると思う。「今よりもっとできるでしょう」の働きかけは「限界を決めるな」論の簡単な一言でするなと言いたい。

 

次に向いている方向性が違う場合、これも前述と根本は一緒なのだが、自分の閾値も超えていなくただの根性論で言っていることが多くタチが悪いと思う。例えば、俺らの時代ならこのくらいした~みたいな論点の「限界を決めるな」論。このケースはほとんどが無理強いに近い。その人個人の資質を加味していなければ、その時との状況の違いをも加味していない。書けば書くほど前述の場合と根本が一緒だ。言われる側の情報を仕入れない、或いは加味しないで「限界を決めるな」論を押し付けているだけだ。

 

それでは、こういった場合にどうやって働きかけるべきかというと、意思を動かすための働きかけをするべきだと思う。言われる側は「限界を決めるな」と言われたとて、決めなくとも限界はあるし、お前に俺の何が分かるねんと思って反発する感情も出てくる。何か物事に向き合う時、人はこうしたい・こう在りたいという意思を少なからず有しているはずだ。そこに向き合ってあげて、反発する感情を生み出さぬように意思を意志にする働きかけをすればいいと思うのだ。言われる側は、相手の求める行動をどこまでなら実行できるか考えてあげればいい。全く無理ならば、全く無理な理由を詳らかにすればいい。そうなると後者は論ずるに値しないケースがほとんどかもしれない。

 

一口にこういうことを言っても難しいんですけどね。と、早寝を決め込んで実行した昨日の自分に反して、昼前まで何度寝かをかました今日の自分がいた事実に後悔しながら考えてました。今週の面談を1つとりつけました。明後日から少しずつ動き出します。