肩の荷が下りた感じ

何とは言いませんが、肩の荷が下りた感じがすごいです。

 

夜眠れずに少し悩んでもやもやしても今の環境ならと、この生活が始まった頃みたいに昼前まで寝ていた。目覚めは妙に清々しくて、やっぱり日本人は睡眠時間が足りないし、自分はもっと足りていないのだなあと感じた。

 

こういう時に念のため何とは言えない世の中に、やっぱりちょっと嫌だなとも思うけれど、今産み落とした点がいつぞや産み落とした・産み落とす点と繋がってどんな影響を及ぼすのか分からないから余計なことはしないでおこうと思う。誰が小林製薬がこんな状況になるってわかるってんだい。

 

そう考えると、知覚しているものも未知覚のものも含めて、制約というものが世の中には多すぎると思ってしまう。「その制約の中でいかにしていくか」はもちろん考えていくことになるのだけれど、人対人のことは制約を意識しすぎなくていいなんて気付くまでに結構時間がかかると思う。もし、新社会人の方に言葉を送ることができるなら、こんな知見を落としたいなあ。

 

これからの自分に必要なことは、感覚的な知見や仮説を説得力のある事実に落とし込むこと。この年になってからよく耳にするようになった「定性的ではなく定量的な」もので説得を行う動きは、しつかりとできるようにしていきたいと思う。

 

といっても、叙述トリックみたいな定量は詐欺みたいなもんだと思うので、そうではないもの。叙述トリックまではいかないにしても、インフルエンサーだの大物だのモンドセレクションだの最高金賞だの、世の中には本当にはそんなことないのにそれらしく見える箔がいくつもあって、そういうものでもないもの、だ。誠実な事実や仮説を愚直に落とせる人として頑張れるといいなあと思う。

 

 

最近止まっていた筆も、肩の荷のせいで止まっていたと錯覚するくらいには、今回のブログもすごく気楽に書くことができた。読み進められていなかった本も、しうかつノートと化した日々のメモ帳も、当初の気持ちに一旦リセットして進められればいいなと思う。また、結果的に発生しそうな猶予をそれなりに有意義に使うべく、まずはそれなりにしっかり悩んでいきたいと思う。もちろん、何とは言わないけれども。