言葉

昔、というか最近まで「格言を他人に送れる人」に憧れていた。有名な人の名言を一字一句覚えていて、適切なタイミングで適切な言葉を紡げる人に。でも、それは過剰な演出のようなもので、本来は適切な言葉を紡ぐために適切なタイミングを作っている場合が多いことに気付いた。

 

適切な言葉を紡ぐために適切なタイミングを作っているシーンは、仕事上でお話しする営業や商談の場作りの時に感じた。双方のゴールみたいなものを先に宣言して、そこに向けてお話をしていく。代理店の場作りが微妙な時は、やっぱり成功確度は低くて当たり前で、それをにじり寄せていきつつ、こちらが求めているゴールに到達することを目指していた。そこに先方のゴールは関係ないことも多々あった。ただまあ、その場の型・枠組みのようなものは意識してお話しできるようになったと思う。物語やできる上司が名言を引用しているシーンの多くは、このタイミング作りの境地での演出であるのだ。

 

僕が本能的に求めていたものは、言葉が適切なシチュエーションを作っているシーン。これは、場当たりで紡いだ言葉が誰かの琴線に触れて名言になっているシーンだ。もちろんめったに出会うことはないんだけれど、その言葉に熱を帯びて誰かに響くことに憧れる。先日、僕の敬愛する物書きのpatoさんが「自分の力量を遥かに超える一文」についてtwitter(現X)で書いていたけれど、まさにその一文・言葉に憧れている。

 

それは、仕事の制約とか焦りがあっては紡げないような気はしていて、責任は伴っていいけれど心理的な障壁はできるだけ少ない場で発揮されると思うんだよな。自由なはずのこのブログでまだお目にはかかれていない気がするけれど、いずれそういうことができるといいなあとひそかに思っている。

 

ちなみに前者の適切なシチュエーションを用意すること自体は、まったくもって悪いことだとは思っていない。或る程度の再現性の基盤はそこにあると思うし、基本や常識の知らない自由は時に破滅的で非常識だ。

 

大学を卒業する時。ゼミの教授に王冠と「KEEP CALM AND CARRY ON」と描かれた赤いキーホルダーを貰った。「私のゼミを卒業する人にはこれを送っていてね、」と前置きして教授は説明をしてくれた。”第二次世界大戦に入る前”の20世紀前半にイギリス政府が作ったポスターが元ネタらしい。西洋経済史、特にイギリス経済史を専門としている先生らしい餞別の品だった。「落ち着いて続けよう」。教授は、不安なことや行く末のわからないことだらけだろうけれど、とにかく一度落ち着いて歩み続けようと、毎年巣立つ自分のゼミ生を静かに激励してくれたのだろう。

 

加えて、これは未来を見据える金言でもある。この標語とポスターが作られたのは1939年。第二次世界大戦に入る直前のナチスドイツとの緊張下にあった時期で、開戦後の混乱を予期して事前に政府から発布された言葉なのである。おそらく、未来を見据える意味も込もった金言なのだ。

 

 

これまである程度のんびりして生きてきたけれど、いよいよ明日からが勝負の二週間になるように思う。最近こんなことばかり言っているけれど、未来を見据えた投資ができるように職にありつきたいし、そのために飾らない自分の言葉で琴線に触れるような言葉を紡いでいきたい。