自分を納得させるのに苦労しておりまして。

訳あって在宅勤務をした週の終わり、家の近くの親族で経営しているイタリアンにてデキャンタのワインを呷るように飲んできた。これに訳はないんだけれど、少し間が差したと表現すれば一番聞こえがいいかもしれない。肴にはカプレーゼのオーブン焼き、ハラミステーキ、そして普通に美味しいボロネーゼ。一人で食べるには少し多い自前のフルコースで満腹感と飲酒の高揚感を得て帰路についた。

 

お財布が寂しくなる何の気なしの外食も、ほろ酔いの無敵感を手にした代償としてはやすい勉強代な気がしていた。そういえば、福島にいた頃はこういうことを適度にやっていたっけと物思いにふけりながら5分もかからない帰路を堪能した。こういうブログを書いたら面白そうかな、こういうモノが社会にあったら面白いだろうな、と堰を切ったように夢想はあふれ出した。と同時に、社会性・協調性という枷を大きくして重くしすぎた自分では、「ぜろからいちをうみだすくりえいてぃびてぃ」はこの無敵感が無いと鳴りを潜めてしまうのかなと思ってしまった。別に何者でもなかったし、これからも何者でもないのに、無敵感を得た結果、無力感も得られた。

 

帰宅の折、そういえばとふと思い出し、パンパンになった郵便受けを開いた。いつぞや入ったアマゾンポイントでまとめ買いをした本がせせこましく入れられていた。応援している著者の文庫版、過去に読んで手元においていなかった小説、そして自分が最後に携わった本がいくつか。どうやって封入されたかもわからないナリに変貌したアマゾンの簡易包装を手にして階段を駆け上った。

 

封を開け、自分が携わっていても最後に見本を送ってくれるとかそういう配慮はない会社だったなあと苦笑いを浮かべながら、ぱらぱらと本をめくった。無力感は消えなかったけれど、ほろ酔い気分で感じるには少々強すぎる想いがそこには詰まっていた。走馬灯のように蘇ってくる大変だったやり取り、夜通しとりかかった業務、そしてありがたい言葉。巻末の「おわりに」に添えられた自分の名前に一人で感激していたこともあった。気付くと、良いところも悪いところももちろんあったけれど、案外前の仕事も人の役に立っていたのかもなと、おそらく最後になる巻末の自分の名前を見て少し、強すぎる想いに励まされた。

 

目の前のやりたいこと、楽しいことを捨てて、いっぱしの人間として生きて行く選択をしたつもりだが、使い捨てをされてる感覚だったり、やっぱりどこか立ち遅れている感覚だったりを今まさに感じている自分には強すぎる「想い」だった。「想い」なんて言葉で片づけるには重く切実に感じたのだけれど、数分思案して今の自分の語彙では「エモい」なんて軽い言葉しか見当たらなくて、激励の言葉よりも自分への嫌悪が勝って、せっかくの無敵感にも終止符が打たれてしまった。

 

こうして、酔いも少し冷めてしまった今、変わった環境ですり減っていく自分に辟易しながら、明日の準備を始めようとする。そういえば、この文章を打っているPCも今の会社から貸与されているものだと我に返り、勝手に作り出した複雑な心境をたばこの煙に任せるべく火をつけて一息つくことにした。