趣味の配置

立ち直るまでの記録を定点観測したい一心で、インターネット上でほこりをかぶっていたブログを掘り起こす。後から見直して恥ずかしくなったり笑ったりしたい。

 

変化のない日々というのは生活の一部分を切り取った考え方だと思う。といっても、ここ一年は変化のない日々をベースに激動の一年だったし、直近一週間は激動どころか今後の変化も確信させる一週間であったのだが。

 

上記の考えに至った理由は、趣味の序列や楽しみ方って日々変動し続けていると思ったから。例えば、音楽の聴き方は、車を運転する・電車に乗る機会だったり、使用するサブスクを切り替えるタイミングだったり、流行の音楽のジャンルに依ったり、まこと多様な変数がある。同じように、一人でしていた趣味が誰かとする趣味になるなどして、優先順位に依拠した序列の変化もあるなと思ったりしている。

 

家に籠って仕事をするようになって、音楽の扱いが自分の中で下がってしまっている悲しさを感じている。日々せわしなく顧客接点をとる業務だと、音楽をかける/きるの切り替えが、感情の切り替えをよりせわしなくしている気がしてしまって。無音の世界で集中するのもいいけれど、集中力ってそんなに続かないということは世で良く語られている通りだ。

 

読書もそうだ。最近は至らない・足らない感情や能力を埋める寄り縋るための趣味になっている感覚がある。楽しむため・知識欲を埋めるための読書をするのが好きだったはずなのに。アニメや映画も手広く観るフェーズは終わって、絞りに絞って観ているし、ゲーム・競馬なんか現実から目を背けるために没頭するものになっているかも。後者たちはまだ没頭できているだけ序列は下がっていないが、本来ってそうだっけという疑問は残る。

 

序列というより、生活の中での配置の問題なのかもなと思えてきた。数と配置を激情に任せて敵に尋ねるナナミンに、趣味の数と配置を聞いてもらえれば自分の中でのそれも明確になるのかな。んでもって、今日以降の立ち直っていく過程でそれらも急激に変化していくのかな。今のところは、彼を思い出すきっかけになってその度に少し辛くなる強い予感しか覚えていないのだけれど。

 

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