適切な距離感

 距離感の測り方は千差万別で、中には距離感なんて測らんとばかりに詰める輩もいます。「い、いやパーソナルスペースが!」というのは勿論ありつつも、昨今なんかは「ソーシャルディスタンス云々」とか「密です!」とかなんとか言っておけば、少し冗談めかしく相手との距離を測ることができるのではないかと思います。

 

一方で、物理的な距離が開いてしまってる相手と久々に会ったりすると、「あれ?なんか違うな」と感じてしまい、言い知れない距離感が溝となって顕在化したりもします。個人的には、それも人間関係の面白いところなのかなとは思っています。また違う遊び方とかも生まれるでしょうし、性根の部分は変わらなくて安心する一時なんかは心地が良かったりもします。

 

 僕は大胆な変化は好まないタチなので、それもあってか久しぶりに会う友人にも、「久々感が全然ないね」と言われることが多いです。見た目はコロコロ変わるんですけど。主に横に。でもこの「久々感がない」って良いことなのか?と最近思うわけです。

 

 

 20代、仕事に就いて社会生活を営んだり、生活する土地が変わったり、生涯の伴侶や子宝に恵まれたり、基盤が出来始めた矢先に色々な変化に見舞われます。そういった中で久々感が無い、つまり変わらんっていうのはどうなんだろうと。

 

まあ、結論から言いますと、どうでもいいんですけどね。変わってないように見えるだけで、生活も変わって考え方も変わって・・・となっているんですから。「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉の通り、小さな行動が変化を生んで変わっていくわけですから。今めっちゃカブ食いますしね、俺。部屋も綺麗にしますしね、俺。

 

しかし、最近のことを考えると、流石に生活基盤が抜本的に変わりすぎて、「久々感ないね~」が発動しない気がしてきてます。自分にとって今起きている変化は頗る良い兆しでしかないんですけど、こと僕の友人にとってはどうなんだろうと少し思ったりはします。性根はそんなに変わんないと思ってますけど。

 

 

 生活基盤の変化ってところの別のお話なんですが、割と近くに二郎が出来たらしいです。以前の生活では、ラーメンが近くにあって、それこそ生涯の伴侶と化してたんですが、今は少し距離を保ちつつ仲良くしてたのですが。そんなところに出来ちゃうと困るな!適切な距離を測りかねるな!と少しだけ悩んでます。福島転居後のちばから郡山店といい、越した先に魅力的なラーメン屋が出来るこの現象。もはや、ラーメンを愛しラーメンに愛されている男としてもらっても差し支えないのでは?と勝手に思ってます。

 

 ヒトもモノも適切な距離感が大事だけど、自分一人ではどうにでもならない外的要因ってのはあるよね。そんな話でした。