愛してるの言葉で愛が足りない人多すぎ問題

 生と死ばかりに人々が目が移っている昨今、人々に足りていないのは愛なんじゃないかと思う。

 

近況を枕詞にグダグダ書きだすのは野暮ってもんで、さぞ皆さま我慢と苦渋の日々を送っていることでしょう。私とて一緒で、もう内に秘めたる情熱、主に就労意欲だけれど、自分自身からもお相手様からもその情熱にお値段付けられない状況に非常にKeep Tryin'してます。

 

宇多田小噺は置いておいて、我慢と苦渋に満ちた鬱屈した日々、今人々の目が向きがちなのは目先の自由と「生と死」なのではと思うんです。だからこそ、今愛に目を向けてみたいというのが今回の主題です。

 

 夏目漱石が「愛してる」を「月が綺麗ですね」なんて訳したって言われ続けているから、「愛してる」がないがしろにされ続けているんです。ただ、それでも皆愛してるって言いたいんです。以下、エビデンスです。

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雑なgoogle検索、「愛してる 曲」でこんな有様。もう初版がいつかすら判別がつかないけれど、石原裕次郎さんから始まって中山美穂、ドゥリカム、はては高橋克典と「俺はトリプルエーだ」のAAAまで歌ってます。AAAは愛してるのに、愛せなかった代わりにビンタ1回してきます。時代は日々潮流するけれど、どんな時代も言わなかったり、過去形になったり、出来なかったり、激しかったり多種多様です。

 

 しかし、やっぱり根本は「愛してる」じゃ足りてない模様なのです。I love youさえ言えないでいるSIAM SHADEさんは置いておいて、愛してるの言葉じゃ足りないくらいに君が好きとか宣っているRakeさん。百万回の愛してるなんかよりも一度ぎゅっと抱きしめたほうが早い論を唱えるAqua timezさん。そして、現代邦楽を席捲しているあいみょんさんですら、「アイラブユーの言葉じゃ足りないからとキスして」しまうわけで。そもそも足りてないから歌にしてるんです。たぶん。

 

 

 もうこれは「愛してるの言葉で愛が足りない人多すぎ問題」として差し支えないと言ってよいのでは?と結論付けたい。ジツが伴ってないとどうしようもねえぜ!オンラインだとアイラブユーの言葉じゃ足りないどころじゃなくて、みんなストレス抱えてんだ!オンライン飲み会なんて愛してるに満たない仮初めの愛してるで、SIAM SHADEなんだ!と締めくくろうとした矢先、あいみょんさんと同じく現代邦楽を席捲するグループがここに一石を投じてきました。

 

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ヒゲダンだー!(ToshIの如く)

 

こんな達観した一言投げ返されると、屁理屈論者としてはたまったもんじゃない。stand by youしか言うとらんやろ、助演で監督でカメラマンしかやっとらんやろ彼らと思ってたらこれでした。まあ、聴いていただければわかると思うんですけれど、「たかがアイラブユー、されどアイラブユー」って歌ってるんです。おそらく。たぶん。十中八九。万に一つも。でも、過不足は置いといて、奇跡起こしてしまってるやん。天皇賞(春)、スタートで出遅れてないやん。これはどうしたものか。

 

 とまあ、ヒゲダンさんが言うように、オンラインでもなんでも愛してる人には愛してるって言っとき!久々に連絡とり合う人もいて気を紛らわすのに丁度よいけれど、やっぱ現実で会って楽しく会話してえよな!もうそれは愛だよ!ということです。SIAM SHADEさんみたいに言えないでいるとやっぱり伝えたいことも1/3も伝わらないですし、「とりあえず言っとき!」ってところ、あると思います。誰に向けた説法なのか、これは。

 

真面目な話、この状況以降、「愛してる」の扱いがどのように変化していくのか見ものです。可愛い子の風俗堕ちを期待するなんて公序良俗に反する発想より、よっぽど健全です。裕次郎さんが昭和にたどり着いていた「みんな誰かを愛してる」という真理が覆るのか。はたまた、やっぱり愛してるじゃ足りなくてあの手この手で愛を伝えようとしてくるのか。そんな尺度を持って世の中を見てみても良いのではないでしょうか。

 

僕個人としては、西野カナさん辺りに、オンラインでのアイラブユーを解き明かしてほしかったです。どう震えるのか知りたいです。最後、不真面目になりましたことをお詫びして謝罪します。