アンメルツヨコヨコにナチュラルに恋してみたら、焼けるような恋を思い出した

  おとといの出来事。ロフトに上がるのが億劫で、少ない居住スペースに鎮座するソファで一夜を過ごしてしまった。座面の綿が外側に寄ってしまって、背面とのポケットが万年床みたいになっていて非常に不格好なソファ。自粛無職の生活スペース。高さのあっていないテーブルでPCをいじり、飯を食う。これまた少し高さのある三段の引き出しを備えたプラボックス上のテレビを見上げるのもこのソファの上。流石に皮脂汚れとかエグいんだろうな、でも皮は継時と皮脂で風合いを育てるって言ってたよな。まあ、たまにウェットティッシュで拭くけど。これが僕の四畳半神話体系だ。

 

この仮住まいで、ストレスレスな生活をしていたけれど、きのうの朝、異常な首の痛みを感じた。どうやら、生活環境の不具合が首を集中攻撃していたらしい。

 

 俗にいうストレートネック、スマホ首とかってやつらしくて、起き上がるのもつらかった。スマホのいじりすぎで下を向く姿勢が多い現代人、本来曲線を描く首が新庄のレーザービームばりにストレートになって痛むことからそう呼ばれるらしい。思い返せば、この長い第6次くらいのモラトリアム、スマホいじって本読んで、ソファでねねして、PC眺めているわけで。前に書いたことも併せると非常に芳しくない様相だ。付け焼刃の生活に変な安定と安寧を持たせてしまっているせいに他ならないけれど、こんなにも首に負担をかけていたなんてと今更後悔している。

 

そして、生活において、首って滅茶苦茶使ってるということも心底痛感した。起き上がるときは勿論、振り返る時も、腕を伸ばす時も、周囲を逡巡する時も、なんやかんや首を使ってたり、関与していたりしてる。それに、首こきこき鳴らすとやばいで!みたいなツイートもこないだ見た気がする。まさにそれでしかなかった。

 

 ちょうど薬局に行く用事もあったし、なんか効くもので対処しようと、近場の薬局へ向かった。運転は無意識に首を気遣ってか、少しぎこちなく感じた。不自然なガールならぬ、不自然なボーイだったに違いない。到着して店内を見回し、それらしいコーナーを発見。飲み薬なんかは即時性のあるものではないだろうしと手に取ったのは小林製薬のアンメルツヨコヨコ。想像するに難くないあのフォルムでロングセラーを博しているあの商品だ。500円くらいで買えた。

 

見知った商品っていうのは、使用自体が無くても底知れない安心感がある。それは、食品だってそうだし、身に着ける服だってそうだろう。なんなら、キムタクがCMやってたらバルクオムだってYouTubeで胡散臭い広告を出していることだって薄まる。人は潜在的知名度とかブランド名とかに安心するマインドを持ち合わせている。塗布もしていないのに、首の痛みだって和らいだ気さえする。

 

 それでもふとした時に激しめに痛む首に、昨夜いよいよ塗ってみる。無香料っていうけれど、なんとなく微かなカオリがする気がする。やはり即時性がある。今までの痛みはかなり和らいで感じた。それどころか、熱を帯びてマヒして感じるくらいだ。効いてる!これ、効いてるよ!と煽りの如き心情を無言でいなして、ピカピカ光るGLITTER NECKで深くなった夜を終わらせるべく床につく。もちろん、ロフト上でしっかりと。

 

熱い。ロフト上の外気がではない。首筋がだ。尋常ではない熱さだ。激辛なスパイスを首筋に塗布したらこうなるのか。いやまあこれは、比喩でもなんでもなく焼けてるって気さえした。熱さに身もだえしながら、必死にスマホググる。「濡れタオルなんかで拭いたほうがいいですね!炎症がひどくなる可能性がありますよ!」なんて書かれてやがる。だが、起き上がろうにも首が痛い。ただただ身悶えする小一時間が始まった。

 

「ねぇねぇ今なにしてるの?」「そろそろ寝ようと思ってた」その通りだ。でも僕は首筋が熱くて身悶えしていた。"真夜中1人のせめぎあい"だ。もちろんNO VOICEで。時の針は無情にも過ぎていく。恐らく3,4時頃まで悶えていただろう。通常の社会生活を送っていたら翌日を想像して絶望する時間帯だ。絶望を覚える暇もないまま、いつの間にか僕は眠りについていた。

 

 翌朝、前日より和らいだ首の痛みに僕は安堵した。と同時に、アンメルツヨコヨコを付けて寝ることは、スポーツに近いと感じだ。そう、これは心のスポーツだと。そして、日々もう少しだけ散歩でもしようと思った。運動不足は身体の不和に直結する。少し首を気遣いながら朝ごはんを食べた後、ふと鏡を覗く。首のMY COLORはなんともなさそうだった。今夜は一旦アンメルツヨコヨコはお休みしよう。おやすみなさい。