ロフトという客間を整えて、大洗濯大会を終えて、靴下の神経衰弱をして、床をウタマロで拭いて、乾拭きもする。その後は掃除機…と床拭き…と掃除機。

 

繰り返しても繰り返しても「毛」がどこかから現れるんですけれど、なんなんだこれ。生活している時から気付いていないわけではもちろんなかったけれど、本当に無限に現れる。客間は生活空間のはるか上にそびえているからかそれほど浸食されていないから、過去に自分だったものがほとんどだと思う。それにしても多すぎる。部屋の隅、椅子の下、衣類バスケットの底、そこかしこにいる毛。いかに部屋のメンテナンスを怠ってるかの証左…ではあるものの、それにしたってやっぱり多いと思う。

 

そういえば、実家で落ちてる毛は犬のものがほとんどだったように思ってたが、犬の毛が目立っていただけで、それはそれは多くの毛が落ちていたんだろうなと慮る。それだけで母への感謝の気持ちも沸く。小まめにやってたんだろうなあ。

 

 

後は捨てるものが多すぎると感じた。これも本来捨てるべきタイミングに捨てられなくて家の肥やしになっているものだろう。衣類だったり、箱だったり、本だったり。棄てて売りに行ければ、ちっさな資産になってたんだろうなあと後悔したり、一つ一つ眺めてあの時にタイミングに持ち合わせてたなと思い出したり。ヒトへの執着はないけれど、モノとか思い出への執着はあるんだなとしみじみ思う。これからは適度に手放して、適度に持ち歩いていく生き方をしたいなあ。

 

といいつつ、もうちっと広い家に住んで肥やしになってる本たちをずらーっと並べられるでかい本棚を用意して、一つ一つ並べてやりたい。きっとそうなれば、こまめなメンテナンスをして維持しておく気がする。まったく信ぴょう性のない自信でしかないけれど。そう考えると、はやいとこ出てくために、パッパと行く末を定めたいところだ。