わからんから探す|ZAZEN BOYS『らんど』

平日の帰宅ラッシュ、と反対方向の電車。あの頃の暗黙の了解をし合うみたいに、まばらな乗客は一人分席を空けて等間隔に座っている。窮屈さから無縁の空間で、ZAZEN BOYSの『らんど』を聴いて打ちひしがれている。

 

音楽的な講釈を綴る能力はないので感性的なもののみで表現すると、過去を見つめてきた未来人が歩み寄りを見せてきた、みたいな。これが諦観だよと教えに来てくれた、みたいな。難しいけれど、そんな感覚を覚えた。

 

支配された聴覚をしり目に視覚は現実世界にリソースを割く。等間隔に座る乗客は値踏みし合うみたいに気付かれない程度に逡巡し合っている。

 

枯れ木と紅葉の柄のヌプシダウンを着た男は、缶のハイボールでおっぱじめている。こんもりしながらピンと立った襟元に頬をかすめて顔をそむける。我慢できなくったゲップをかましたその先にいた禿げたおっさんは嫌な顔をしていた。

 

社用携帯だろうか、一方のスマホのマイクを口元にあてて申し訳なさそうに話す女は、もう一方のスマホinstagramのストーリーが時間経過で動いている。手足をくねらせて踊っていであろう制服姿の女の子が画面の隅に追いやられると、今度は「今すぐ転職を考えていなくても…」と強めに控え目なことを宣う求人サイトの広告。時間経過のバーは手元でずっとに進んでいるものの、電話をする女の顔は険しいままだった。

 

耳元で繰り広げられる"わかるようなわからんような世界"に中てられてささくれだっていた僕は、いつも以上にその光景にいら立ちを覚えていた。そういや、なにより僕は"はあとぶれいく"の真っ最中だった。

 

 

いら立ちながら目を配っている僕は、少なからず負い目を覚えている彼らの目にどんな風に映っているのだろう。僕の脳内では、見たこともないヘリコプターが夏の夕やけを背に優雅に飛んでいたところだったけれど。

 

 

わからんのだ。ヌプシの男にも、スマホ二刀流の女にも、センチメンタル過剰になっている僕にも。わからないことだらだけれど、何かをわかるために生きているのだ。世の中そういうもんなのだ。それでも探せと、わからないならそれでも探せと。脳内の世界と、過去からの今とを、つまびらかに表現して、諦観の先でそう示してくれたのが『らんど』なのだと思う。