そっと涙する

 少し昔の話、大学1年生の話をします。

 

 試験という結果でまざまざと不合格を叩きつけられ、予備校の実績確保のために受けた滑り止めに進学することとなった僕は10万円ちょっとを握りしめて春の東京に降り立ちました。4月1日、吹雪いていた故郷とは違って、東京駅の八重洲口を出て臨んだ商業ビルの隙間に立ち並んでいた満開を過ぎた桜の木々たちは嘘みたいでした。当時はスマートフォンなんかも無くて、事前に調べて印刷しておいた乗り継ぎ行程を律義に辿り、4年間暮らすことになる2つ隣の県へと各駅停車で向かいました。長く長く続く一本の路線に、「まち」に住んで完結していた今までの生活の便利さをしみじみと感じたとともに、流れゆく見知らぬ車窓に唯々高揚していたことを覚えています。

 

 なんとかアルバイトにもありつき、大学生活にも慣れてきた5月のゴールデンウィーク。金銭面然り、シフト面然りで、帰郷できずTwitterでの友人のやり取りを指を咥えてみていたことを思い出します。週4で夕方と夜勤を交互にしていた駅前のコンビニアルバイト。当時はスカイプ通話で高校時代の友人と夜を明かしたり、料理に凝ってみたりと、仕送りが無い身でお金が無いながらに一人暮らしを謳歌する生活を送っていたように思います。

 

 宅飲みとか、アルバイト先でオーナーと揉めたりとか、講義全サボりとか、二日酔いとか。数多の初めてを経験し、迎えたのは初めての長い夏休み。震災明けとかで飛び切り長い夏休みは、アルバイトを変えたり、ロックフェスに行ったりとかで、あっという間に過ぎていきました。お盆が明けて少し経った9月初旬、初めての里帰りの最中、LCCの小さな機窓を臨んで僕はそっと涙しました。

 

良くも一人で金稼いで生きたなと。そりゃ学費は両親に出してもらって一人立ちなんてしていないのは重々承知していたのですけれど。とてもちっぽけなことだったと思うんですけれど。何かをやり遂げた結果を実感できないまま生きてきた当時の自分にとっては、「自分で稼いだ金で生活して、自分の稼いだ金で帰郷する」っていうのは初めて何かをやり遂げたことだったのかもしれないと今になっては思います。

 

 

 時は過ぎて9年後の3月19日、仕事を終えてわざと感傷的な曲を流しながら、僕は夕飯も食べずに寝ていました。眠気まなこで冷蔵庫に残った食糧を消化して、億劫な明日以降を奇想している時、件の機窓のことがふと蘇りました。不思議と今は涙なんて流れそうもないけれど、諸々のケリがついて見慣れない部屋で一息ついた時にでもまたそっと涙するのかなと思いに耽ってみると、億劫なだけではない明日以降も奇想することが出来た気がします。

 

そんなわけで、本日最終出社を終え、自由の身となりました。