2カ月記念!!!!!

 繁忙期前の下準備が終わってーーーというか僕の今している仕事なんて、在庫用意して進捗見守って休みの日に働いて貰ってる嘱託社員さんへの指示といざという時のバックアップだけなんですけど、その下準備が終わって、一息ついて家帰ったら8時前に爆睡していました。起きたら2時頃で、なんやねんこの時間と思いながら、本読んだりケータイいじってたりしてたらこんな時間でした。そういや昨日、ツイッターでブログ更新しますとかのたまってたなとふと思い出し、ポチポチ打っている次第です。

 

 前回の更新から早2カ月たちましたので、「ここを記念日報告の場所とす!」くらいの勢いでタイトルを付けました。中学生の前略プロフィールとか魔法のⅰーらんどとかにくっついてた日記のタイトルを意識してみました。懐かし。

 

 そんな懐かしさとは裏腹に最近気になったことと、最近のことを雑多にパラパラと書いていきます。恋はスリルショックサスペンス。

 

 もみほぐしが熱い

 2カ月前の投稿から、生活が目まぐるしく変化しています。救急車で運ばれ節制を余儀なくされ、手術に向けて節制を余儀なくされてます。体調と心を整えるのは運動が一番なんですが、それも制限がかかる状態でして、歩くこととバッセンで球をしばくことくらいはしているんですが、一方で身体が悲鳴を上げております。

 

そんなこんながあって、最近月に2,3回もみほぐしに通ってるんでが、これが熱いんです。夜遅くまでやってくれてるので、時間の制約は少ないですし、3,000円くらいって考えると、飲みに行くもんかなと思います。飲みにも行ってないですし、このくらいの贅沢は許してほしい。

 

 んで、揉み解されることに対して性的な欲情は無かったしこれからも無いんですけれど、少し新井浩文さんの気持ちがわかる気がしました。いやだって、気持ち良いので気持ちも高揚しますもん。僕は店舗に赴いて解されてますけど、彼は自宅に呼んでオイルマッサージされてるわけでしょ?高揚した気持ちで、デリヘルと混同してワンチャンしたんでしょ?絶対ダメだし、僕はそんなことしないですけど、少し気持ちがわかったです。それだけを伝えたかったんです。

 

8月23日から8月26日まで札幌に帰ります

 年2回しかない帰省のタイミングだぜ!!!ってことで、帰ります。仕事のこととか綴りたいこと数多ありすぎてこの箇条書き形式が成り立つか不安極まりないから書かないんですけれど、仕事なんて関係ないって勢いで帰ります。

 

追々は記して行きたいですね、仕事のこと。だから定点観測的に思い立った時にちゃんと書きたいもんですね、ブログ。

 

このまま脱線しかねないので打ち切りますが、お暇な方は声かけてもらえると嬉しいです。もうなんとか調整してお会いさせていただきます。この期間はお酒をば普通に飲むと思います。をば。

 

あいちトリエンナーレ界隈が興味深い

  3年に1回愛知県各所にて展示が行われる現代アートの展示会らしいのですが、その中の1つである「表現の不自由展」の展示内容を巡るアレコレが興味深い。 端的に言うと、展示内容が時世を反映しすぎてて、非常にセンシティブだと炎上しているという内容。

 

 個人的に思うことは2つ。

1つは、この炎上自体がテーマにしている「表現の不自由」の皮肉になっていることです。元来、人々の思想って政治だとか信条だとかそいうのを含有したものじゃないの?問題があっても思想ってそういうもんだからなあ、というスタンスで見てるんですが、それを不謹慎だとか、反日プロパガンダだとかで叩かれた末、中止にまで追い込まれてるじゃないですか。

 

「桃美味しいー!」と有名人がツイッターで呟いたら、「桃アレルギーの人だっているんだから自重してください」とリプライされる世の中なわけで、そら今回の内容からすると叩かれることは至極真っ当であると思うけれど、それを受けて中止になっちゃう不自由さったら無いです。でも、叩かれて中止になっちゃうくらいの「表現の不自由さ」への訴えなら、中止も至極真っ当かもしれないというジレンマがまた面白いです。

 

もう1つは、ツイッター上での加熱を経て、多様な主義思想の人が便乗して啓蒙活動をしていることです。芸術への政治的思想の反映を叩いている人がいる一方で、同調して叩いているふりして己の政治的思想をあけっぴろげにしている人がいることが面白いです、本当。

 

誰でもなんでも発信できる世の中だからこその出来事ではあるけれど、やってること自体はバカッターとかって揶揄される若者のしょうもない動画投稿と何ら変わらないと思うんです。「毎年いってたのにー今回の件は残念です」って書き込みが一世を風靡してたのもそれも証明しちゃってます。3年に1回のイベントに毎年行くってどういうことやねん。「おととい来やがれ」的な表現として転用できるんじゃなかろうか。

 

先輩からお前は歯車って言われた

 昨日、先輩と昼飯食ってる時に「お前は事務所の歯車だから、波風立たせないで、事務所が円滑に回るようにしてくれればいい」って言われました。

 

 ひっかかってるのは、歯車に徹させてくれてない体制と「歯車」という表現。体制のことを書くとここまで長々書いたのに倍以上の長々とした投稿になるし、多分もう出勤しなきゃならない時間までかかるはずなので割愛しますけど(笑)、歯車って人を諭すときに使わなくないですか。

 

諭されるほど激高してたわけではもちろんないんですが、言われて3秒固まりました。これって表現としてどうなんだろうって。いわゆる「社会の歯車」ってネガティブなイメージありません?「社会の歯車になんかなりたくねえ!」って夜空に向かって反骨心をむき出しにしてるイメージありません?先輩の表現の不自由さに不安と不満を感じましたって話でした。そもそも貴方に言われなくてもわかってるし我慢してそれに努めてるわ、くそ!ほんと、会社辞めます、ええ。