ちゃんと読んでちゃんと味わって

2月は良い本に多く出会えた。

 

『成瀬は天下を取りにいく』(著・宮島未奈、新潮社)

『御社のチャラ男』(著・絲山秋子講談社

『心が折れた夜のプレイリスト』(著・竹宮ゆゆこ、新潮社)

『滅びの前のシャングリラ』(著・凪良ゆう、中央公論新社

 

やっぱり女性作家の作品が好きなのだと思う。細やかな描写とか、間の取り方とか、感情発露の爆発力とか。あとは、今回たまたま一人称が入れ替わる作品を多く読んだけれど、お話が繋がっていく感覚が、構成に目を向ける要素になっていて楽しい。職として文章を読んでいて、そこから離れてすぐに「まい進」の日々だったので、こういうふうに文章や作品に向き合えるようになったのかと自分に感心する感覚も覚えた。有り余る時間はとても貴い。

 

 

とはいえ、時間が有り余っていた状況からわかったことが二つある。一つは、小説を読むのにも限界があるということ。定義こそあいまいだが、ちゃんと読んでちゃんと味わってをするには僕は趣味が多いので、これだけ有り余っている時間の中で、4冊に留まった。もちろん、小説以外にもビジネス本や新書のような社会系の本も読んでいるので、このリソースを割けばもうすこし読めるかもしれないけれど、たぶん「ちゃんと読んでちゃんと味わう」ができるのは、長編なら5,6冊が限界なんだと悟った。

(そう考えると、映画やアニメのコスパたるや~という話はまた別の話として)

 

もう一つは、夜長を利用して読むような読み方しかできていないこと。そりゃ普通の社会生活を営みだしたら、本を読む量が少なくなるはずだわと改めて思った。特に、眠くない夜に生活リズムを整えんとして早めに布団に入って小説を読みだすとそこそこの確率で明朝を迎えている。いろいろな体制に寝返りを打ったり、いわゆる読む手が止まらない状態になったらベッドの上にあぐらをかいたり。気づくと薄青い空になっていて、少しだけ「あっ、やっちまった」という気持ちになる。今だからいいけど、生活の一部に染み出させるには、付き合い方を少し変える必要がありそうだと思う。

 

今年読んだ本は、いわゆる当たりに出会っていると思う。作品そのものの面白さはもちろん、ことさら感情にクリティカルな部分が多くて、今の自分の感情だったり、作品の嗜好性だったりを気づかせてくれているように思う。きっとこの余暇がなければ積読の肥やしになっていたであろうことを考えると、暇を与えてくれた前職はそれなりの感謝をしつつ、社会復帰してからも次の日を無駄にしてもいい休みを用意したいなあと思うのだった。