フライトジャケット

悠々自適なマルチワーク無職を送っていて、学生時代の一瞬の時間って尊いとふと実感した。突如として独り立ちを余儀なくされ、あくせくアルバイトと学業に邁進している中で、余暇を作って過ごしたあのだらっとした少しの時間が特に堪らなかった。

 

予定があるわけでもなく友人の安アパートにたむろして、ヤニをふかしながらその時々の周囲での流行りに興じた。下手くそどものバイオハザード5、『プラネタリウム』の独演会、アイドリング!!!の録画視聴、高頻度で開催されるコーヒーを炒ってすする会、山奥にある西友への買い出し、格安輸入ビールと食材と廃棄をむさぼる会、バイクツーリング(俺はタンデムの後ろ)、突如始まる謎の写真撮影会、誰かの一点ものを買いに行く会、たまにある「大学生」らしい行事。

 

賭け事に興じたり、女っ気だったり、酒を泥のように飲んで死ぬ宅飲みだったりなんてものはなかった。いわゆる「大学生」のアウトサイドであることを自覚してか、単に少し斜に構えていてか、普通の大学生らしいことをしたがらなかった。それも立派な「普通の大学生」だけれど、当時は普通の大学生を否定できるその環境がとても居心地が良かった。

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たむろしていた仲間内で、フライトジャケットが流行っていた。示し合わせて買ったわけでもないし、一点ものを買いに行く会で買ったわけでもない。別に常に一緒に着合わせていたわけではないけれど、ただなんとなく思想を共有する旗印な気がしていた。当時は、木こりのベストことジレと、ゆるゆるの首輪ことループタイがなぜか流行っていて、量産型大学生なんて言葉が生まれた時期でもあったように思う。流行りに敢えて乗らないみたいな意識が未だに僕には根付いていて「拗らせ」をビリビリと感じる記憶だが、当時から流行り廃りのないものとして、そして仲間意識の延長みたいに好んで着ていた。

 

 

先日、そんなことを一緒にしていた友人から、同棲していた彼女と籍を入れたと連絡が入った。

 

期間は空けど定期的に会っている友人の一人で、なつかしさは全くないし、彼女さんとの同棲先にも幾度となく泊まらせてもらっていた。こだわりのある家具や生活空間を見て、失礼にも最初は「お前、住みにくくないのか?」と尋ねてしまった。彼はすこしはにかみながら一言。「慣れだよ」と。多分僕らはその空間を一人でこしらえることができないだけで、別に慣れることはできるのだ。干しっぱなしの衣類をなくすことだってできるし、綺麗なキッチンで昔やっていた冷凍ポテトを揚げる会だって、『プラネタリウム』の独演会を聴くことだってできるのだ。

 

根底は変わっていない。最近自分の中で流行っている音楽の話をして、身の上話と未来の話と昔話をして、少し手の込んだ食べ物と飲み物を口にする。間接照明が薄明りを照らした部屋のベランダで吸うたばこも味は変わらない。変わるのは見た目と環境と少しの意識くらいなのだ。結婚おめでとう、これからもよろしくどうぞ。