とってつけたような話

料理をする上で全幅の信頼を置いているものがある。ティファールの深鍋フライパンだ。

 

焼いて良し、煮て良し、蒸して良し。中華鍋的に使うことができるが、油を回しておいたりしておく必要がない。軽さもちょうどよく、サイズも大小兼ねるほどよさでバッチリ。現在は二代目で、初代はもしかしたら実家でまだ使われているかもしれない。

 

初代との出会いは大学時代。なんのきっかけだったかわからないが、友人とフライパンを買いに行く謎イベントが発生し、ヤンチャな人の往来があるなか驚安の殿堂の店先で記念撮影した記憶もある。たしか二代目も郡山の驚安の殿堂で買ったと思う。どちらも出自はきっとヤンチャなやつだ。

 

先日、業スーが凄いとブログの記事を書いたが、その業スー生活を支える屋台骨はまさにこいつ。スープも適当なチャーハンもカレーもこのティファールで作っちゃう。まさになくてはならない存在だ。

 

そんななか悲劇が。吉野家の牛サラダ再現のために、牛丼の具を作るべくこの日もティファールくんと共同作業をしていた。

 

その前にちゃちゃっとすき焼き風の炒めもんを作って、牛丼調理しながら夕食に興じていた。後は煮込みの行程だけと、居間に移動しテレビを眺めながら残りの夕食をかっ食らっていた。一息ついてウトウトしていると、ほのかな香ばしい匂い。気付いたら一時間半くらい煮込んでいて、食えそうで食えないくらいのコゲマシマシの牛煮込みを作ってしまった。やっちまった。

 

直後は現実を直視できず、一旦風呂に入った。換気扇回しっぱなしの浴槽にも、しっかり香ばしい匂いが漂っている。家にいる間は現実逃避は難しそうだと判断し、意を決してキッチンの流し台に向き合う。とっては取れていない。ボンスターとくたびれたスポンジを駆使して、ティファールくんを救出する。頼む、息を吹き返してくれと願いを込めてひたすらに擦る。

 

なんとか一命をとりとめた。どころか、前よりきれいになって帰ってきた。昨日業スースープを雑に作って昼夜のメインにすえたが、その時も問題なくティファールくんは鍋の役割を果たしてくれた。一時は「別れを覚悟して三代目を迎えることも視野」状態だったが、耐久性までもバッチリ。まだまだ一緒に頑張ってくれそうだ。

 

そんなティファールくんが誇らしいよ、素晴らしいよという話。