本くらい簡単に一期一会があったらいいのに

昨日は勤労があり、昼過ぎに駅に行く必要があった。昨年いつもぎりぎりを攻め過ぎていたこともあり、気持ち早めに駅に着くよう家を出た。到着したはいいものの、お目当ての電車が約30分後で、少し時間を持て余してしまった。改札内の喫茶店は人で溢れているし、お昼ご飯も簡単に済ました身では飲食店に入るのも気が引ける。そういった時に僕は書店に向かうことにしている。というか、勝手に身体が動いている。

 

改札内の書店は、スペースも限られることからか、キャッチーさに振り切ったASぶっぱみたいな本が多い。それでも出版社ごとのオススメのコーナーやジャンルごとにきれいに区切られた陳列になっていて、しっかり客層が分かれた店内をコンパクトに見渡すことができる。改札内ということでこれからどこかに向かう人が多数であろう店内は、単行本の類は多くなく、文庫や漫画の棚が半分くらいを占めている。

 

文庫コーナーの棚をひとしきり見回し歩いて、気になった本の裏面を一瞥する。僕は文庫裏のあらすじを読むのが好きだ。過去にあらすじを書くことに苦慮していた時に、自分の本棚をひっくりかえしてあらすじを読みふけったことがある。短編集は珠玉であることが多いし、書き下ろしが複数ある時はことさらに強調される。展開に妙のある作品はキーパーソンとの出会いを書いて三点リーダーで引く。パターンは決まっているものの、そこには作り手の苦悩が垣間見える。当たり前のことではあるが、あらすじが楽しめるものは、本編も楽しめるような予感がして購入のきっかけになる。

 

面出しされているものや気になったタイトルのものをなんの気なしに触ってみてふと脳裏に残る数字があることに気が付いた。

 

32。主人公が32歳だったり、32年の歳月を描いていたり、妙に自分の年齢と同じ数字があらすじとして書かれていた。青春小説なんかは17歳と18歳で大きな違いがあるので明記されることが多い印象は持っていたが、32歳(年)も同じ類の扱いなのか…と嘆息した。もうそんな年なのか。

 

一方で32歳が表現するに足る扱いであることに面白さも感じた。28歳を「大人のような。子供のような」と表現してボヤ騒ぎが起こる世の中を鑑みると、ナイスミドルの手前というか、初老の前日譚的な扱いになっているのだろうか。32年も長いけれど長すぎない、フリードのような丁度良い扱いなのかな。

 

そんな小さな焦燥感と面白さとを見つけられた余白の時間に、普段買わないような本に財布のひもが緩む。目的地へ向かう道中、納得と目が滑る感覚を繰り返しながら、気づくとウトウトしていて、やっぱりなと思いながら本気のうたた寝に興じる。1/fゆらぎに勝る睡眠導入はないよなと敗北宣言をし、その後は昨年と代わり映えしない1日を過ごした。