結びつき

野球論争を日々繰り広げる方たちの中には、本気かネタかわからないがオーナー企業の不買を掲げる過激な層がいる。読売新聞や楽天経済圏を避けることはできるけれど、ソフトバンクの通信や日ハムの食肉などに至っては外界との接続を絶つとかヴィーガンになるとか、一般的な生活を棄てないと難しいし、それに気づかないで掲げて生活しているとしたら結構面白い。

 

どうして難しいのかを考えた時に、それ自体を捨て去るのに付随するもののインパクトが大きいと思った。例えば、現金を持たない生活。完全キャッシュレス社会が成立していない現代において、現金を全く持たないことは「いざというとき」も怖いし、使えない場所での買い物も難しい。ことラーメン屋はキャッシュレスへの対応がなかなか進んでいない飲食店の筆頭だと思っていて、ラーメン好き=現金を持っていると思ってもらっても差し支えない気がする。

 

いや、もちろん分かっている。交通系ICを入れていれば対応店舗は格段に多くなり、モバイルSuicaと連動すればキャッシュレスでラーメンが食える時代を生きていることは分かっているのだ。分かってそういう生活をしているのだ。前述の無知で過激な野球ファンとは違うのだ。分かって、現金を持つ生き方をしているのだ。

 

とはいえ、自宅に引きこもって生きている現状を考えると、モバイルSuicaくらいそろそろ導入しても良さそうだという気になってきた。考えはアップデートしていったほうがいい。そうだ、過激な野球ファンももしかしたら分かった上で掲げているのかもしれない。中日新聞とかロッテに関わらないで生きることはそんなに難しくないことだし。所詮は言葉遊びと思って短絡的に言っているだけかもしれないし。

 

そういえば、少しでも深く考えることを億劫だと感じる層もいるらしいし、実際にそういった人たちにも会っている。「深く考える」の程度は結構人によって変わるよなと実感したことを思い出した。僕は深く考えないとモバイルSuicaの必要性に到達しなかったけれど、便利じゃんと簡単に飛びついた人も多くいたことだろう。アンチ球団の不買してやるぜ!と考える程度も千差万別なんだろう。

 

話が脱線してしまった。最近はインスタントな死に触れないために、死を題材にしたものごとに意図的に触れない、あるいは決意を持って触れるようにしていた。だが、映像作品・歌・小説・ゲーム、触れる趣味のどれにも死は取り扱われていて、完全には避けられないことに気付いてしまった。生と死は表裏一体であって、生活を題材にしても死が添え物以上についてくるのだ。そりゃそうだった。こんなことにも少し脳のリソースを割かないと気付けないのだ。物事の関係って意外と気づけてないことが多くあるんじゃないかと思った。