健康

頗る調子のいい昨日、なぜか寝付けずYouTube shortを見漁っていた。美味しい焼き肉のお店を知ったこと、呪術廻戦の最新話を観ていないことくらいが収穫だった。十中十分に寝不足の身体に朝日を浴びせつけて、いつものルーティンで身支度を整える。今日は客先接点があるからしっかりヒゲを剃った。画面に向かい一服し、散らかった周囲を後目に、どうせ寝付けないならばセルフハンディキャッピングでも働かせて部屋の掃除でもしてくれればいいのにと昨夜の自分を呪った。

 

昨日比で不調の日は、なにかしらのリカバーが必要で、今日は糖分を多くとることにした。甘いカフェオレを呷って、フレンチトーストみたいになった身体はキャスターも良く浸みる。ヤニ燻製のフレンチトーストの完成。我ながら不健康の極みだが、こうやって一歩一歩すすんできたんだよなと自分を正当化してから仕事を始める。

 

 

コレをするために自分は今まで生きてきたのだなと感じることがある。大げさな言い方ではあるが、今までの無意識的な行動と人生の変遷は、このコトのためにあったのだと感じる瞬間だ。NUMBER GIRLのライブとか、初めて『~消失』を読了したときとか、彼女との初々しいデートのときとか、画面越しに見ていたロッキンのグラスステージとか、4月1日に見た東京駅の桜とか。逆にこんなコトに立ち会うために生きてきたのかよと絶望することもある。2015年3月30日のこと、新卒で入った会社の3年目のこと、母の憔悴しきった顔、友人の死。どれも突然起きることではあるけれど必然的に起きることでもあったわけだ。

 

これからもこういった人生の岐路に立たされては、希望したり絶望したりするんだろう。今も岐路のにおいに惑わされながら、腑抜けたなりに必死なんだろうな。まあまずは健康になろうと本気度の低い宣言を自分なりにして、書き連ねた自分の希望と絶望の幼さが少し嫌になった。