内側から閉じるボタンを押して出ると使用中になって迷惑がかかる

 皮膚がじんわりと湿って、天気も気持ちもぬかるんだ季節がやってきました。関東の夏の始まりを感じずにはいられない上、マスクで保湿もしないといけないんだから、なんだかいつもと違う夏の到来を感じます。

 

 人は移り気なもので、いつもと違う事件やゴシップを渡り歩いて大きな話にしがちだなと最近はつくづく思います。小さな話題を提供すると、一昨日の「カブの記事」以降、当ブログのアクセス数がうなぎ上りで、大変嬉しく思う次第です。継続は力なりとは良く言ったもので、ブログも飽きずに続ければ良いことがあるもんです。移り気な世の中も一個二個のことに集中的に議論や各自表明をしてみたら、なんかしらの成果を得られたりするもんじゃないのかな、と朧気に思ってみたりします。

 

 

 昔々、母親と姉弟で行ったコープでの話。普段行くコープではなく、いつもと違うほうのコープに行った時の話。小学生2,3年生の頃だと思います。北海道のコープって長年ある店舗が多くて、少し古めかしい様相のところが多くて。道民はなんとなく雰囲気が似通ったイメージをしてくれると思うんですけど。そのいつもと違うコープには、当時取り入れ始めのバリアフリーがそこかしこに施されていて、当時の僕は物珍しさからなんでも近寄っては遊び回っていました。入口のスロープ、低めに付けられたエレベーターボタン、広めにとられたレジスペース。いつもと違うところを見つけては母親に報告したりして、いつもと違う店舗を楽しんで回っていました。

 

 帰りしな、目についたものがありました。いつもより広い空間に、やっぱりいつもと違う仕様のものが取り付けられ、見慣れないものも有りました。多目的トイレでした。

 

上げ下げできる手すりのついた水面台と少しハイテクな便器。おむつを付け替える折り畳み式の台や、簡易シャワーのようなもの。これはいつものトイレとは一味違うなと子供ながらに直感しました。

 

高いテンションで一通り逡巡した後、出入り口のボタンに気付きました。大きい「開」と「閉」のボタン。迸る好奇心は僕を愚行に走らせました。「閉」のボタンを押して、外に出ようと思ったのです。その思い付きを止める理性もタガもそこには無く、押してすぐ閉まるドアをひょいとすり抜け、ドアはしっかりと閉じられました。点灯する「使用中」のランプ。当たり前ではありますが、外から「開」のボタンを押したとて、開くわけがありません。

 

 気が動転した僕は半泣きになりながら、家族の元へ駆け寄りました。あのまま放置したらどうなるんだろうと脳裏には有ったものの、何も言わず帰路につこうとしました。幸い、家族は迷子になりかけて焦ったのだろうと半泣きになる僕をみて思ったのでしょう。特に何か言われた覚えはありません。こうして僕は、他の人に迷惑をかけた行為を見て見ぬふりしました。コープさっぽろさん、あの時は本当にすみませんでした。

 

子供ながらに強く残っていた罪悪感からか、今でもあの時の焦りと「悪いことを黙ったままにした」感覚を鮮明に覚えています。あの人も悪いことをしたと思っているなら、家族には誠意を持って謝っていると良いなと思います。色んな意味でどの口が言うんだっていう感じですけど。