一期一会の寂しさと、かかる暮らしの味気無さ

雨が降らなかったら外に出る宣言をしたはいいものの、午前中はなんだかんだやることをやって不覚にも充実してしまった。青すぎる空をしりめに、これからの仕事何をしようかな~と音楽をかけながらぼんやりと考えている午後に、何度目かのいわゆるキャリアの棚卸しをしていた。3社。決して少なくない職歴のなかで、継続的な付き合いのある人のなんたる少なさか。

 

そもそも継続的な付き合いに至らなかった関係には、双方仕事だけの関係と割り切っていた関係もあれば、連絡を取っていなかったから自然消滅的になくなった関係もあるだろう。

 

前者については、気が合っていたわけでもないのにそこの気だけは合ったという、示し合わせていなかったのにさよならする感じが、なぜか双方の見解が一致していた面白さと寂しさを感じさせる。もちろん気が合ってなかったわけではない人が多数で、年齢差だったり性差だったり生活圏の違いだったりでそうなったものもあると思う。が、結局は、仕事という仲立ちを廃してから関係を築こうと双方しなかったのだから、そうなるべくしてそうなったのだと思う。

 

後者については、少しでも連絡を取り合おうとする気持ちがあったのにそうなった状況が結構寂しい感じがする。それこそ、お互いのその時の環境や状況がそうさせなかったので、なにか一要素が違えば、ボタンを掛け違っていれば、今も関係があったのかなと思う。

 

とはいえ、今がそういった関係だから、未来もそういった関係とは言えない。ボタンが掛け違うこともあるのだ。長く続けたSNSだったり、ゲームだったりを辞められないで続けている要因はここにあるような気がする。前職は連絡を取り合う職場の人は今のところいないけれど、前職を縁に繋がっている方が片手に収まるくらいいる。それって凄く尊いことというか、また何か一緒に仕事ができる・出会うシチュエーションが来たら余計に良きご縁だったとなる気がする。

 

こと仕事もそうでありたいと切実に思う。のであれば、ひたすら電話して後工程につないで終わりという仕事よりも、信頼してもらえる関係を築いて継続的な伴走ができる仕事とか、継続的なやり取りでその時に顧客にならなくても将来的に顧客になるかもしれない関係を紡ぐ仕事をしたいなと思う。

 

ネットを利用したビジネスはそれこそ多くあるものの、「簡便」や1つの目的にフォーカスしたものは長続きしないのであろう。移り変わりはやっぱり早くて、今はインフルエンサーマーケティングから、コミュニティマーケティングにシフトしつつあるらしい。インスタントな面白さより常駐して育む面白さのようだ。「内向きのコミュニティを、どう外にも開放していくのか」が課題で、外に開放した時のモラルとかルールとかの別の課題がその先にもありそう。あとは、内で楽しくやってたかっただけなのに外に広がってしまった例とか、モラルを求められなかったから広がっていった例とか、なんとなく身近にある気がする世界が今はトレンドらしい。

 

そう考えると、就職活動の一期一会感って未だに凄いなと思う。むこうの用意した機会一回で何がわかるんだろう。その一回で何が感じ取れるのだろう。そんな歪さが十数年前から嫌いだったのだよな~と納得しながら、まだマッチングアプリのほうがましか?いや、あれも概念的なコミュニティがあるだけで、文字とツラしか見取らんやろと毒を吐いて、インターネットの片隅に文章をこしらえてる。一人は案外寂しくないけれど、一期一会でその場で終わりはそれなりに寂しい。

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