(決して)別に大人なんかじゃない

箱の中の最後の1本に火をつけて、1か月も続いているブログを打ち始める準備をする。今日のネタはまだ見つかっていない。

 

先日、前のお店からの常連である50代のおじさんとお話していた時のこと。「もう干支が1回りしたんですね、お会いしてから」となんの気なしに話題を振ったところ、昔話が弾んだ。今日は酔いに任せたかったんだよと言いたげな顔で饒舌に話すおじさんと、ところどころ割って入る店長や若い女の子。僕は目の前のサンラータンメン二人前の調理を進めながら相づちを打つ。「今年はまたどっかで飲みに行こうな!」と気のいいおじさんは言う。タイミング合わせられれば是非と本心から出た言葉を発して、麺を湯がいてスープを合わせる。完成まであと少し。

 

たばことの付き合いも干支が一回りするくらいかなと思い出す。「銘柄をコロコロ変える人って浮気性なんだよ」と札幌のパブのあの子が言っていた気がする。その前にも各所でそんな他愛のない話を聞いていた気もするが、なにとなく思い出したのは仲間内でねぐらにしていたあの店と、一人で切り盛りしていたあの子だった。

 

何千と灰にしてきたたばこで、いくつかの景色を思い出す。深夜のUSJ入口、休憩の時に使う店長のエスティマ、漠然とした将来のことを話した自宅前の河川敷、友人の安アパート、上司と姉の迎えを待つシネコンの喫煙所、決意を固める前に一人で行った青果棟、トラックヤードの隅、あいつの在中先の近くのローソン。苦い思い出とリンクしてばかりだと思ったけれど、意外とそんなことはなかったことに驚いた。

 

そういや一年前は初めての禁煙もしていた。時がたつにつれ、就業中だけは!昼休みだけ解禁!ちょっとした休憩だけ!と条件が緩和されて、気づいた時には禁煙という事実は自然消滅していた。数も多くないからいつでも辞められるよ~と言っていた若人は、たぶんもうどこかに行ってしまってもう存在しない。

 

それでも「吸わない人と一緒にいるときは吸わないで過ごす」という当初の信条は今もずっと守り続けていられている。これからもこれだけは守ろうとおもいつつ、じゃあ吸わない人と暮らすことになったら、いよいよ辞め時なのかなとも思う。条件緩和を許さない厳しいタイプの人と一緒に暮らしたいなと、実現しなさそうな夢想をほどほどにしてみる。

 

たばこを辞める前の最後の一本の話ってよく聞くけれど、そんな折が来たら是非ブログには書き起こしたい。きっとあいつは最後の一本って考えながらは吸ってなかったんだろうなとまた少し暗くなりつつ、手を伸ばした箱に1本も入っていないことを思い出す。ストックはない。あえて多くしていない。この記事の公開ボタンを押して一息したら、コンビニに買いに行こうと思う。