大味の坩堝

大味。

感想を言う時に織り交ぜると通っぽくなる一言だ。食べ物の感想はもちろん、スポーツや小説の感想にも使える。繊細な味も分かっているというマウントと評価物に対してのシニカルさも含んだこの言葉は、否定的な言説で使われることがほとんどだろう。

 

だが、大味は本当に否定的な意味合いをもつ言葉なのだろうか。カレー、ラーメン、ハンバーグはいくつになっても男性の好きな食べ物であって、同時に簡便食品であっても美味しいものの筆頭であろう。昨今の簡便食のクオリティについては埒外に置いておくとして、どんな作り方をしてもそれなりに美味しいからこそ、簡便食品であっても美味しい。つまり、多くの男性は少なくとも大味”も”好むのだ。

 

それでは、一般的に「大味な~」の後ろに付かない行動に当てはめて意味合いを確かめてみよう。大味な電車…ダイヤの道中で遅れたり早まったりしそうだ。大味な枕…中綿が偏ってそう。大味な首相…不祥事ですぐ辞任しそう。やっぱり否定的な意味合いが強まる。

 

ここで勝手に始まった大味論争に、これまた勝手に一石を投じたい。僕は大味な掃除をしてみたい。というのも、昨年のコロナ禍に新居のアパートに引っ越して以来まとまった掃除をまるでしていない部屋は、荒れに荒れている。といっても福島時代よりは比較的マシであるが故に、まあこれでいっかと漫然に過ごしているうちに、埃と同居する誇りをも得てしまったのだった。

 

時はコロナ禍、ヴァージョンいくつか。最早何がコロナ禍か分からなくなってしまった世の中に呼応もできず、呼応できていないのに日々通勤している矛盾を孕みながら日常を過ごしていた僕に施された夏休みは、日本対ベルギー戦のラストプレーくらい無情だ。そもそも今までの生活ではこういった時期は繁忙期だったわけで、中2日の出勤があれといえど、僕にとっては大味な休みでしかないのだ。あれ、やっぱり大味って否定的じゃない?

 

このお盆、僕は大掃除のようなことをしようと思う。大味な掃除だ。断じて大掃除ではない。方法としては、この2つを用意するだけ。

 

 シュッとして拭く。埃がたまったら洗う。その繰り返しだ。大変大味である。結局今までの怠惰の清算は怠惰の延長で行動していくしかない。人は突然変わることなどできないのだ。実際にやってみるとなかなか捗る。埃にまとわりつく毛がとにかく多い。脱毛したくなる。メンズクリアの広告の原稿に使えません?これ。非モテが剛毛を解消して美人と付き合う大味な展開より、こっちのほうが説得力ありません?

 

まだお盆は半分も終わっていない。箇所箇所で1日の30分~1時間を費やすだけで結構気持ちいい。たぶん大味も悪くないのだ。やらないよりやったほうがいいし、味が無いよりあったほうがいいのだ。