また会ったときに恥ずかしいからね

アニメ版の葬送のフリーレン、綺麗な幕引きだった。読後の清涼感を映像にしたような文学みたいな作品だった。

 

勇者ヒンメル一行の魔法使いだったエルフのフリーレンが、魔王を倒した後の時代を生きる話。設定の珍しさよりも、二周目の街々で勇者ヒンメルの「追想」をしながら旅をしていく各エピソードに引き込まれる。人の感情や思いに触れて人を知っていくフリーレンが多くを語らずに淡々と進んでいく物語は、落ち着きもありながら冒険のワクワク感がある。昨今の異世界転生モノにはない落ち着きを感じられて、今だからこそ面白いと感じられた作品かもしれない。

 

追想」とは別にもう一つ、「継承」というテーマがあると感じた。旅の目的は一つ明確にあれど、勇者一行の弟子と旅をともにして成長を見守る。フリーレン自身が観測者としての目線を持ちながら、人と想いを連れ添って旅をしている構図が心地いい。ヒンメルの行いが街々に影響を残し、個性的な他のキャラクターも魔王を倒した後の街やそこで暮らす人から影響を受け、それぞれがそれぞれに感情を宿して動いているところがまた心地いい。

 

なにより、勇者ヒンメルがファンタジーゲームの中の無口な勇者らしくなくて、とにかく人らしく清い。本来描かれないいわゆるゲームクリア後の世界感もあいまって、描かれている世界は清くみえる。これから争いや諍いも描いていくのかもしれないが、フリーレンがいることでそれでも大丈夫だろうと安心できることもこの作品の心地よさに加担していると思う。「また会ったときに恥ずかしいからね」、アニメの締めくくりといえる最終話の人間味のあるこの言葉がやっぱり心地いい作品たらしめていた。

 

 

先日、年甲斐にもなく対応の悪い人に悪態をついてしまった。自分の蒔いた種だったり、決まりだからしょうがないことだったりしても、なあなあな形式的な対応に八つ当たりしてしまった。これが「また会ったときに恥ずかしい」なのかと、不覚にも納得した。と、同時にあんな清い世界の清い言葉を、こんなどうしようもない世の中のどうしようもない自省に用いてしまう自分に恥ずかしくなった。かしこ。

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よてい

そこまで気が進んでいない予定と、先に進みたいけれど不確定要素が多くて定まっていない予定と、やりたいと思っているだけの予定と、やることは決まっている日程未定の予定と、決まっているけれどなんとなく頓挫しそうな予定と。予定とはいえない予定がてんこ盛りで、これが社会か~と生まれたての気持ちで傍観している。

 

本来の予定の意味に合うものはそれほど多くはなさそう。でも、どれも世の中でいう予定には違いなくて、直前になればなるほどに負の浮力が働いて、億劫になる。大方、行ってしまえばなんてことはないのだけれど、明日の予定は本当にそれほど気乗りしない予定なので、億劫of億劫で二億劫なのだ。

 

最近はそれほど変わった予定もなく、定型の予定を淡々とこなして改善を回していくみたいなルーチンワークをしていた。そんなこともあってか、色んな性質の予定が山積して少しあわあわしている。7つ予定があれば七億劫と絶妙に笑えないネタが思い浮かんだので、しれっとここで昇華しておきたい。

 

昨日の予定の行きがけ、読み進めていた哲学書みたいな本を手放して、そこそこに明るそうな短編小説に持ち替えて出かけた。電車の中で30分ほど読み進めて、これはこの調子なら読める!と思うことができて、リハビることができそうで嬉しい。

 

この後切らした煙草を買いがてらコンビニに赴いて、帰ってきたら風呂に入って、明日の準備をする。今日の残りの時間を簡単に思案するも、それが着実にこなされるかどうかはまだわからないので、予定とは本当に怖いものだ。

 

ニートなのにしている副業で、アポイントメント取得予定みたいな感じで伝えた案件も無事決定したし、今日は予定について考えて予定をこなせた日にしたい。そうしたい。こんな気持ちを原動力にも変えられないナーバスな自分を恨みつつ、外の寒さと意志の強さを比べ合って、文章をたたもうとしている。こんなたたみ方でいいのか?と少し思い起こしつつも、終われたものを終わらせていないだけの蛇足で締めくくることもたまにはいいでしょと開き直って、意を決して上着を着ることにした。