話したい事は山程あるけどなかなか言葉になっちゃくれない

 北海道に帰省してきました。家のこと、将来のこと、世の中のこと、雑多に思い起こされたことを頗る雑多に書いていきます。

 

◆知らない道で帰る

 車での移動に慣れ、方向だけあってればいいやという感じで適当に走ることが多いのだが、これが余り良い癖では無い気がしてきた。

 

 今回の帰省の帰路で、浜通りを通って自宅へ戻ろうとしたのだが、遭難しかけた。福島県は縦に大きく3つに分けることができて、気候も慣習も結構違う。郡山は中通りの南部、仙台から国道4号をひた走り、山を2つほど越えるとたどり着ける。今回走った浜通りは相馬から磐城へ抜ける道で、東日本大震災の被害を大きく受けた地区に当たる。

 

 福島で暮らす以上一度は見て感じる必要があるとは思っていた。語弊を恐れずに言うと、その根底にあるのは使命感とかそういうものではなく、好奇心のほうが強いと思う。それでも、今回足を伸ばしたのは、故郷が被害を受け自分は他のところにいたという事実がそうさせたと今更になって思う。

 

遭難しかけたという話は、唯々お笑い種でしかないのだが、浜通りから中通りへ抜ける山間の道の選択を誤ったという話。二度とかち合わないであろう山村集落とか、生活必需品を多く取りそろえたファミマと道行く人の休息所を兼ねた施設とか、いろは坂と見紛うWINDING ROADとか、初見のものに多く出会った。気がする。道の先に待っていたのは確かに小さな光で、青看板に現れる微かに見知っている地名は安息を与えてくれた。

 

◆結婚について

 今回の帰省は、大学時代の友人の結婚式が主たる目的で、それありきでの動きになった。それでも、合間を見つけてくれて会おうとしてくれた、実際に会った友人と上司には感謝してもし切れない。

 

結婚した友人とは、ウマが合わないようでいて実は合う気もするんだけれど、やっぱりちょっと合わないどこぞのラー油のような関係だと思っている。この文句にも茶々入れしてくれる。と思う。そんな彼は奇怪な目を向けられることが多いだろうと初対面からずっと思っているのだが、それでいて頼りにして結婚式に集う友人も多くいることが今回凄く素敵なことだと思った。彼とお相手とが考えて作り上げたちょっと変わった結婚式は全員への配慮に溢れていたし、彼らの言動を皆が微笑ましく見守り、温かな空間を作り出していた。

 

 結婚とは凄いことだなと改めて思う。周囲の年長者からの“自由に生きること”への社会不適合者ばりの荒々しいレッテルの貼り方に辟易していたが、最近「確かにそうかな」と少し考え方が変わったように思う。それでも、養い手のなる以上、しっかり生きてしっかり稼がないといけないよなあとも思う。真面目系クズの完璧主義的思考はいつも矛盾を孕んでいるが、気付いたら割り切って普通に結婚してそうとも自分でも思う。月並みなオチをつけると、先ず相手在りきではあるのだが。

 

◆震災と私

 4月に福島に移り住んだこと、先日故郷北海道が大きな地震で被害を受けたこと。自然には抗えないことを考えると、余計に何かの因果を感じざるを得ない。

 

 因果とは人の思い込みが作り出すものである。多分誰か豪い人がこんなことを言っていると思う。確かにそうだと思うし、それを是認して敢えて作り出して自分に制約を架けたりもする。「震災が起きて私たちに何ができるか」というマクロな物事の捉え方をした時、自分の中で結論は出ている。何もできないと思う。それを今回の帰省と帰路でまざまざと感じた。17日の3時前に起こった地震で飛び起きた時、国道6号をひた走って浪江町の街々を見た時だ。何が起きるのも突然なんだなと。備えることも難しいように思う。それでも個人としては因果を勝手に作って、心構えだけはしておこう。それだけで有事の時、自分の周囲の人に少しだけでも役に立てると思うから。

 

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 雑多なつもりで書いていても、結局地続きになったなあと読み返しながら思う。

 

今日、出社してそうそう社内で問題が起きていた。ふわふわしていた頭が仕事の頭に切り替わった。気でいた。その後の仕事ぶりを思い返すとそうではなかったようだ。雑記してやっとすっきりしたと今は思っている。自分にとって、物事を整理するために雑記は重要なツールだと改めて思う。ちんこ。